こんにちは!福井大学よっしゃこい21代目の“コンナハズジャナイノニ...”こと梅田大河です。先輩方がせっかく作ってくださったHPをなんとか活かしたいという想いと僕たち代表陣の思いつきで始まったこの21代目ブログリレーも残すところ自分と代表の涼真だけになりました。みんなのブログの編集は実は基本的に僕が行っていたのですが、みんなのブログを編集しながら『自分は何について書こうかな??』と結っっっ構考えていたのですがいざ自分の番になるとなかなか書けないものですね。みんなのブログを一番読んだのはおそらく僕だと思うので、みんなのブログでよかったものを色々参考にしつつ自分なりに書いていこうと思います。
まだ何について書こうか定まっていないので、まずは
『自分について』
と
『よっしゃこいでの思い出やエピソード』
を少し書こうかなと思います。21代目の同期とはよっしゃ生活を通してたくさん話せたと思うんですけど、先輩方や後輩達とはなかなか話せなかったので引退式を控えた今ではありますがぜひこのブログで“梅田大河”という人間について知っていただけたら嬉しいです。
僕は基本的に何か聞かれたらその場ですぐ何か答えを返すようにしているんですが、よっしゃ生活の中でものすごく回答に困った質問があります。それは松田君に聞かれた、
「大河って趣味あるの?」
という質問です。この質問には思わず
「え゛?」
と眉をしかめながら返して、
「俺、趣味ないかも」
と返したと思います。そのときの松田君の『弱点見つけたぁ』みたいなニチャァっとした笑顔は今でも忘れません。スマホで写真を撮ってアルバムを見返すことなくこの笑顔は思い出すことができます。
と同時に自分はなんてつまらない人間なんだと自分に少し辟易しました。
僕は小学校4年生から高校3年生までの約9年間サッカー部で、サッカーは好きなのですがたまにフットサルしたいなぁと思うくらいで、誰かを誘ってサッカーしたいなぁと思うことは今ではほとんどなく、かといって釣りとか映画鑑賞とかいったわかりやすい趣味もありません。そこで、『何をしたときにワクワクしたかな?何だったらもう一度やりたいと思ったかな?』と考えたときに思いついたものが2つありました。1つはかなりキモイんですけど、
・一人旅
・人間観察
の2つです。
『一人旅』については、帰る日も決めずなんの予定も立てないまま遠方へと向かいます。具体例を挙げると、大学2年生の夏休みに行った3泊4日の東京はとても刺激的であり、意外となんだか退屈で楽しかったです。一人でいると話し相手もいなく、僕はスマホの通信量も使い放題ではないのでぼーっとする以外に本っ当にやることがありません。だから、一人旅をしているといろんなことを考えたり普段気付けないことに気付きます。
電車内ですれ違うだけの人を見て
『この人にとっては僕はただの同乗者Aなんだな』
とか考えたり、電車外の風景を眺めて
『あ、地理で習った氾濫原だ』
とか思ったりします。
そしてこうやって一人で考えることと『人間観察』は繋がるのですが、例えば東京で渋谷のスクランブル交差点前で22:00~24:00くらいでぼーっと街行く人たちを見ていた時は、
『あ、あの人ナンパ失敗した笑』
とか、
『この人めっちゃ急いでるな、漏れそうなんかな?』
とかいろんな人生を垣間見れてとても面白いです。
世の中って本当にいろんな生き方がありますよね。
実際、よっしゃの活動中でも会議や練習で端っこの方から1人でみんなを眺めているときもよくありました。
今思い返すと、僕が21代目の輪に入っていくことになったきっかけのときも会議後に1人でぼーっとしていたときだったなと思います。
僕は実家が飲食店ということもあり、1年生のときはコロナを気にして10月ごろまでほとんどの活動に参加できませんでした。行ってみたいなぁとは思いつつも、たかがサークルだと思っていてそんなに熱はなかったです。入ったきっかけも『人数が多いから』という単純な理由なので、まぁ合わなかったってことで辞めればいいかななんて思ってました。実際、19代目の引退に合わせて9月に一緒に辞めようとしていました。僕は練習はもちろんしていないので観るだけの参加にして、そこで同期と次の代表に辞めることを言おうと思っていたら、
「観るだけの人も参加費4000円いただきます」
と言われて当時、
「よっしゃこいには入ってみたいけど衣装は買いたくない」
とかいう無茶苦茶なことを言って19代目の代表陣に会議を開かせてしまうほどの生意気問題児だった僕は、『なんで見るだけなのにそんな高い参加費払わなあかんねん』と思って、結局参加しませんでした。これでまず1回目の『辞める』というタイミングを失いました。
辞めるタイミングは3回失ったんですけど、2回目はさくよさ(京都さくらよさこい:4月1日、2日開催)ボスを終えたタイミングです。なにも考えずに適当にボス決めのLINEを送った結果、代替わり後『初の21代目で行うボス』という大役をいつの間にか請け負ってしまっていた僕は、このボスの仕事が終わったらスッキリ辞めようと思っていました。
そしたら、さくよさ1か月前に行っていた下見中にコロナによる緊急事態宣言が福井県内で発令されたことを帰りのサービスエリアで知らされて、さくよさに参加できないことが決まりました。しっかり終えてスッキリ辞めようと思っていた僕にとってはとても消化不良で、『辞める』と言うタイミングをまた逃しました。
そして学年も変わるし、環境を変えるなら今だよなー、、どうしよう、、と悩んでいた僕はなぜか当時はそんなに仲良くもなかったともやをご飯に誘って辞めようかどうか迷っていることを伝えました。
ともやは口下手で語彙力もないけど、優しいので
「うん、、辞めんといてや」
「なんか、わからんけど辞めんといて」
の一点張りでした。『なんやこいつ』とは思いつつもこんな自分を引き留めてくれる嬉しさで一旦辞めることを思いとどまりました。2人とも飲めないのに、個室居酒屋に行って、笑いつつもどこかしんみりとしそうな独特の雰囲気も今となっては懐かしい良い思い出です。
そして、22代目の新歓が終わったら辞めよう!と思い新歓を全力で頑張ってみました。当時はよっしゃこいの魅力も知らないので、22代目に全力で嘘をつきまくりました。今ではその嘘はもう嘘じゃないなと思います。
頑張りまくった結果、なんか楽しくなっちゃったんですよね。
「なんかタイガっていうあんま知らんけどZOOM新歓でめっちゃしゃべってくる奴がいる」
と先輩の中でも少し話に上がっていたと聞いたことがあります。
そして、勢いそのまま21代目の会議に通って、気付いたら副代表になっていたんですよね。人生何があるかわからないですよ本当笑
涼真に副代表を口説かれたサイゼリヤでの話し合いは今でもたまに思い出します。
「正直言うと、もう2人は決まっていて、でもなんか俺ら3人だけだと物足りない気がして何が足りないんだろうなーって考えた結果、俺の中で出た答えは大河だわってなったんよ。だから、一旦考えてみてくれん?」
そう涼真に言われた僕は9割方『あ、やろう』とその場で思いました。
最後に決断したのは副代表決め演説で前に立った瞬間でしたが、サイゼでほぼほぼ答えは決まっていました。
僕が副代表をやろうと思ったきっかけは、これまたちょっとキモイんですけど、
『涼真が好きだから』
でした。
「自分がいないことで涼真が代表陣の仕事で潰れてしまうことがあるならそれは嫌だな、せっかく自分に何かを期待してくれているなら応えたい」
と思って副代表をやるとあの壇上で21代目のみんなに言いました。
なぜここまで涼真に心酔しているかと言うと、1年生の12月、会議後にぼーっとしていた僕に21代目の輪に入るきっかけをくれたのが涼真(と、玲郁)だったからです。
会議が終わって、そろそろ帰ろうかなーと荷物を整えていたら、涼真と玲郁がニヤニヤしながら話しかけてきました。
玲郁「大河って犬山のときちょっと話したよね?おもろいよね大河って」
涼真「え、だよね!こいつやばいやつだよね!ばかおもろ」
と今でも変わらない語彙力のなさを発揮しながら僕に話しかけてくれたのですがそれがとても嬉しかったんです。それと同時に直感で『あ、こいつと一生の友達になるな』と思いました。それからずーっと涼真には勝手な恩を感じています。
話は飛びますが、同じく副代表の光莉と初めて話したのは副代表になってからです。
副代表になることが決まったその会議後に涼真に、
「俺、光莉と話してみたいんだけど、光莉ってちょっと怖いんだよね」
と言ったら
「え、話してみなよ」
と光莉を連れてきてくれました。
「あー、初めましてー、久富光莉ですー。よろしくお願いしますー。」
と低めの声で話しかけてくれて、当時からやりたいこととビジョンがはっきりしていたのが印象的です。初対面の僕にも副代表になってやりたいことを語ってくれました。そこで語っていたことはこの1年の活動を通してほとんど達成されていたと思います。本当すごいですよねこの人。
もう一人の副代表の粋人とはいつの間にか仲良くなっていました。
会議後にコンビニに行って、本コーナーのグラビアを見ながら
「え、この人がいいよね?やっぱそうだよね?」
とか言いながら趣味合うやんと話したのは今でも記憶に新しいです。フェチとかも語りましたね笑。本当えろいですよねこの人。
そして代表陣での活動は一つ一つがキツく、脳みそを溶かしながらの代表陣会議も何回もしましたがその全てが楽しかったです。4人全員が、
「周りが就活やら、バイトとか趣味に明け暮れている中俺ら何してるんやろな笑」
と暗くなったのか、今から明るくなるのかもわからない外の景色を見ながら話したこともありました。そりゃ大変だったけど、代表陣の一員になって後悔したことは1秒たりともないし、この4人で代表陣ができてよかったと心の底から思います。
1年生の頃はコロナで活動できなく、2年生ではみんなを支えること、盛り上げることに集中したいと衣装を買わない選択をしたので、僕がしっかりよっしゃこいの活動をおこなったのは実は3年生になってからです。だから、僕はみんなの記憶にいない時間も多く、みんなは経験しているけど僕は経験していない青春もたくさんあります。
アルバムを見返して、自分がいないのを見て寂しく思ったり、みんなの1年生のときのエピソードを聞いて「俺その話知らないな、、、」と悲しくなったりしたときもあります。
しかし今では、
「その青春羨ましいわ。うわぁいいなぁー。なんかいいねそういうの。」
と3年生になってからのあるときポツリと言ったら、
「何言ってるん梅ちゃん。今から青春していけばいいやん」
「今からがいっちゃんおもしれーから」
と過去ではなく未来のほうへ向かせてくれる友達がいます。
本当に、3年生になってからは忙しく、目まぐるしく時が過ぎ、僕も一緒にたくさんの青春を経験しました。
自分の人生で経験したことのない青春を短期間に一気に味わいました。
僕はこれを“青春に急かされた”とよく表現するのですが本当にその通りだと思います。
一つ積極的になったり、何かに挑戦するだけで青春の方からこっちにやってきてくれたなぁとそんな感じです笑
ここで僕がおこなった積極的な挑戦というのは
【衣装を買う】
という決断でした。
よっしゃこいに入った人なら全員経験していることです。
衣装購入後は嫌でも会議や活動に参加するだけでいいです。(これが結構難しかったりするんですけどね笑)そうすると青春の方からやってきてくれます。この機を逃したらどれだけのお金を払ってもできない経験ができます。
僕が3年生になってから衣装を買った理由は、
・一緒に踊りたいとしつこく何度も言ってくれる仲間がいたこと
・『漣』という演舞が魅力的過ぎたこと
・最後のステージにみんなと一緒に立ってみたい
です。特に二つ目に関しては、演舞お披露目の練習に幕持ちスタッフとして行ったときに初めて見た『漣』が、振りもかっこよく、特パの対決という構成も見たことが自分的には衝撃的なもので思わず『振り作成天才だ、、、』と思ってしまいました。
そして三つ目の最後のステージにみんなで立つというのはどまつりのことなのですが、一度だけもらえたメインステージでの演舞は圧巻で、気持ちよすぎました。しつこく踊ろうと誘ってくれた同期には本当に感謝しています。ありがとう。
この写真はフェニックス祭りの大賞演舞を踊った後の写真なのですが、ページ最上部の写真(東京一人旅のときのもの)の時点の自分ではこんな最高の笑顔が仲間と一緒にできるなんて思っていなかったと思います。本当に楽しかったな。
となんか思い出に浸っていたらだらだらと書き過ぎました笑
なので最後に、
23代目のみんなへ
23代目の子たちはこの春、夏と高校時代には予想もしていなかったせわしない毎日を送っていると思います。みんな仲いいですよね23代目。イチャイチャしやがって笑
そんな23代目ですが、もしかしたら中には居づらさを感じている子がいたり、もっと活動に行ってみたいけど何かの理由で来れない子がいるかもしれません。今は自分のことでいっぱいかもしれませんが、もう冬を越したら24代目が入ってきます。だからそれも踏まえて少し視野を広げてみて、話したことない子とも積極的に話してみてほしいです。この挑戦が無駄になることは絶対ないです。あと、人のことをすぐに諦めずしつこくいろんな関わり方をしてみてほしいなって思います。自分たちで自分たちの代を自分たちなりの“最高”を目指してくれ~~!!
22代目のみんなへ
22代目の子たちは、いい意味でも悪い意味でも“個性”が突出しています。特にフェニックス、どまつり期間の22代目は凄まじかったです。ついてくるどころか21代目を焚きつけるほどでした。ですが、その個性が譲らなさすぎるのか、相手の個性をへし折ったり打ち消してしまっているのかわかりませんが、何かフラストレーションがお互いに溜まったりしていないかなと心配したりしています。なので、相手への一言目に、
「違うって」
「だから」
など否定するのではなく
「そういう視点もあるな」
とか
「なるほどね」
と一旦受け入れて、自分に落とし込んで理解してみることをしてみてほしいです。もう既にしてるわ!と思ったらごめんね。
そして22,23代目にまとめて。
僕はただの先輩の副代表ってだけで、君たちに詳しいわけでもなく代の会議にいるわけでもないので、もしかしたらただの先輩からの偉そうなおせっかいになってしまったかもしれません。そんなときは遠慮なく無視してね。
21代目のみんなへ
現役スタッフってそんな意味わからんシステムで受け入れてくれて、見捨てず仲間に入れてくれてありがとう。21代目のみんなのおかげで最高の引退ができそうです。2年の夏休みに市体育館の第五会議室で代の方針を決めてからあっという間の一年だったね。これから、各々が各々の道へと進んでいくと思いますが、僕もともやと同じで引退しても、卒業しても、みんなと繋がっていたいです。いっぱいバカな挑戦もしたいです。よっしゃこいの“現役引退”はあっても“よっしゃこい21代目引退”はないよね?先に死ぬとかも許しません。だからこれからもよろしくお願いします。
まさか読了時間12分というこんなに長いブログになるとは、、笑
こんなに長いのに最後まで読んで下さったあなた!一緒にご飯行こ!
本当は不安になったときの対処法とか、読んだ人を励ますようなブログを書こうかなとかも考えていたのでこの続きを語らせてください。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
福井大学よっしゃこい
21代目副代表
梅田大河
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